夏休みに帰省したとき、
妹の赤ちゃんたち(年子)が寝ぐずりしてたので
月齢がちいさいほうの赤ちゃんを抱っこして、
懐かしい通学路を辿って、お散歩に出た。
小さな川にかかった橋を渡って坂道登って、
(そういえば、ここにいた犬がこわかった。)
雨の日、の通学路の、匂い。
(そういえば、この砂利道で転んだ上に妹が載ってきて
ものすごい擦り傷ができて痛かった。)
横断歩道を渡って
(そういえば、ここで上級生の自転車にぶつかった。)
また、坂道を登って、
(そういえば、雪の降った日にはここで
ランドセルの上に乗ってそり遊びしてるひとたちがいた。)
いろんなことを思い出しながら、
学校についた、と思ったら、
校舎が移転した後で、更地になったそこは、
一面、駐車場になっていた。がくり。がっかり。
家出て長いし、年に一度くらいしか帰省しないし、
学生時代から繋がっている友人もほとんどいないし、
郷里への思いって、意識したこともなかったのだが、
わたしは、そこに愛着を持っていたんだと、
母校がなくなったことではじめて気づいた。
○
天や月の通う小学校は
乱開発が進む市内の公共施設のなかでも、
ずば抜けて広い敷地と緑地面積を持ち、
子どもらは虫や草むらや樹々に親しんで生活しているのだけど
数年後には別の場所に移転することになっている。
あたらしい場所では敷地も狭くなり、
数えるほどの本数の樹が新たに植えられ、
複合遊具がひとつだけ置かれることになっている。
市が開催した説明会でね、わたしは、
「こんな施設じゃあ、
緑も遊具も少な過ぎる」って、言ったのよ。
そしたらね、「壁や屋上も緑化されるし、
遊具が増えると、危険も増える」って回答だった。
壁や屋上の緑でバッタやカマキリやセミや
カブトムシやコオロギが生息できるかっちゅうの。
「遊具が増えると、危険も増える」、って。
なんじゃそりゃ。
○
やはり似たような話で、こないだ、小学校の先生が
「近ごろの新入生は鉄棒ができない」って話をしていたときにね、
子どもを保育園に通わせてるおかあさんが、
「保育園では
危険防止のために
鉄棒が撤去された。」と言っていたの。
保護者主催の学校でのお祭りで販売する食品に関して、
「なにか」起こったときに責任をとれない、ということで
手作り食品でなく、
市販のおにぎりや焼きそばなどを仕入れて販売、となったのは
5年前だったかな。
また、米飯給食時に、
残ったごはんを醤油味や塩味のおにぎりにして
子どもたちに食べさせてくれる先生がいらしたのだけど、
一部の保護者からの衛生面への不安の指摘がきっかけで、
校長の指導によって、
教室でおにぎりを握るのも禁止になった。
○
月の通った幼稚園って、
告知なしである日突然、野菜の袋を下げて、幼稚園から帰ってくる。じゃがいも掘って、さつまいも掘って、にんじん掘って、もう掘るものないだろうか、と思っていたら、大根掘って帰ってくるようなかんじで、
また、ことあるごとに、
みんなでなにか作って食べてた。
いのししの丸焼き
なんてこともあったし、
お餅つきもね、
それはすごくたのしかったし、
おいしかったし、あたたかかった。
園庭の遊具で怪我をする子もいたけど、
撤去なんてことにはならなかった。
○
だらだら長いエントリーになっちゃったけど、
子どもたちのために、って言葉を使うときには
安心や安全と同じくらいに
子どもたちの気持ちをね、考えよう、と思った、って話だ。
○
↑月がはじめて作ったおひなさま。
写真撮って処分しようと思ったのに、
写真撮ったら、愛着が湧いて処分できなくなった。