月は甘えんぼうのおこりんぼうで、家に帰ってきてからの時間は
勝手気ままに怒ったり泣いたり笑ったりして過ごしている。
長女気質のわたしはその自由さにすごいなあ、と感心してしまうのだけど、
ときどき手に負えないくらいに怒るのには困っている。
こないだ、月が解けなくてブチ切れて、
「できないのはママが教えてくれなかったからだ」とギャン泣きして
大げんかになったのはこんな算数の問題だった。
○
「大小二つの箱に、150cmのリボンを2つに切ってかけます。
リボンの長さが短いほうのリボンの2倍の長さになるようにします。
短いほうのリボンの長さは何cmになるかを、
(1)、(2)の順に求めましょう。」
(1)短いリボンと長いリボンは合わせて何cm?
○
月は、この(1)ですでに、ぜんぜんわからないのだ、と
怒りまくっていたのだった。
ちょっと落ち着いて
「大小二つの箱に、150cmのリボンを2つに切ってかけます。」
って文章だけを読んで考えてみるように促す。
わからないわからないわからない、と
ギャンギャン泣きながらしばらくして、月が書いた答えは
「900cm」
月の頭の中にはどんな図ができていたのだろうか、と
聞いてみると、「箱の中にリボンが入っている」とか言う。
「切ってかける」の言葉の意味がわからないのかなあ。
新聞広告をリボン状に切って説明したら、
そのページの類題もひとりで解けちゃったんだけど。
その次には、なにかのプリントがないと怒り出していた。
「ここに置いといたのにイ。
ハー、終わった、もう終わった、
だめだ、もうだめだ、
ハー、終わった、終わった、
あ、あれ?
あった。あった。あはははははは。」
この喜怒哀楽っぷりには、もう、みんなで大笑い。
○
月のおこりんぼはともかくとしても、
国語が苦手なのって、生涯を通じての不自由にも繋がるなんて思うのよ。
国語力の低下が叫ばれて以来、
今の学校の時間割って国語の時間が突出して多い。
ただ、それが、国語力の強化に繋がるかというと、
(国語だけに限ったことでもないけれど、)
担任の先生の力量にかかっているところもあるわけで、
国語こそ、専科の先生が必要なんじゃないか、なんて考えてみる。