わたしは、どんな子どもだったかってと、地味で暗くて運動がまったくできなくて、友達との付き合い方やクラスの成り立ちや女の子同士の作法等がよくわからないなりに、年長者相手には妙にはきはきしていて、そして、とにかく、何でも読む子どもだった。
友達のウチに行ってもそのへんのマンガを読みだして、まるで遊べないで帰ってくることなんかざらだったし、そもそも友達のウチに行くことよりも、ウチで本を読んでいることのほうが多かったと思う。
字が書いてあるものなら取り扱い説明書でも電話帳でも広告でも読んでいた。
小学生時代にとくにムチュウになったのは、どっさりあった世界文学全集で、次から次に没頭して、まわりの音も何も聞こえなくなってるくらい集中して読んでた。読みながら階段落ちたあとにも続きを読んでいて立ち上がろうとしたら捻挫していたことまである。
しかし、実家は自営業だったので子どもと言えど労働力で、お店のことからごはんのことから洗濯物から年下のきょうだいの世話までが仕事だった。
なので、実家では本を読んでいて言うことを聞かないと怒られた。
よその家では本を読むと褒められるものだと知ったとき、その、不思議だったこと。
天や月が家のことなどなにもせず、なにもかもおまかせが当たり前みたいにでろ〜〜〜〜〜んと過ごすのを見ていると腹が立ってしかたがないのは、子ども時代からのわたしが怒ってるところもあるのだろう。
そこに矛盾もあるのだが、天が本を読むのにも、まったく閉口している。
今は友達から借りてきた『バーティミアス』の3巻目だ。
家にいるあいだ中、この本から天の手が離れることはない。
ちょっとおとなしくなったな、と思ったら読んでいる。読み始めたら何を言っても止まらない。
本を読んでいないときには、その内容を話す、話す、ずううと話し続ける。
うああ、全三巻、なんて長い話なんだ…。
○
そういえば、
去年の今頃にも同じようなことを書いていた…。
天にとって、夏は読書の時期なのか。