わたしはデパートという場所が苦手なのであるが、それは、デパートで売ってるものの値段が高すぎる、と思うからだ。
だけど、デパートに行ってみると、それらを普通に手に取って買っていたり、身につけていたりするひとたちがいて、ああ、ここはわたしの暮らしとは別世界なんだなあ、と思うのだ。
ときたまデパートに行ってみたからって、とくになにか欲しいものがあったわけではないけれど、いつかわたしももう一度働き始めたら、デパートで普通に買い物できるようになったりなんかするんだろうか、と想像しながら手ぶらで帰宅してくるのが常である。
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さて、こないだのおいしいうどんを母の誕生日に贈ったので、そのお礼の電話がかかって来た日のこと。昼間に何度か電話をかけたのだけどわたしが不在だった、とのことで、どこに行っていたのかと尋ねられたのだった。
「ああ、ジムに行ってた。」
「事務?働き始めたの?」
「ちがうちがう、身体を鍛える方のジム。」
「ああ、そうね。働いてないのよね?」
「働いてないよ。
ちょっとくらいは自分のお金が欲しいと思うこともあるけどね。」
「なに言ってるの。○○さん(夫の名前)が働かなくてもいいって言ってるんだったら、それでいいじゃない。あんたが今働きに出たって、たいしたお金にはならないよ。それより天の側にいてあげなさいな。
天はたいへんな子なんだから、あんたがついていてあげないと。天が自分から離れるまで、もうちょっとじゃない。その前にあんたがちょっとのお金のために外に出て、天がまた変なことになったら、取り返しがつかないでしょ。」
と、長々と長ゼリフのお説教(?)をくらった。
なんだそりゃ。
わたしが現在考えて選んでいる方針と内容的にはほぼ同じことを言われたわけだが腹が立った。
天がもっとたいへんだったときにも、助けになってくれなかったくせにさ。そりゃあ、一生懸命育てたもん。今の天は、わたしが天くらいちいさかったときよりも、よっぽどちゃんとしてるもん。なんで今になって母からそんなこと言われなきゃならないのさ。
わたしが天くらいの大きさだったときには、母のかわりにかなりの家事や妹や弟の世話を担っていて、その母は自分のお金でしょうざんの訪問着を誂えられるくらいに働いてたくせにさ。
お前が言うなよ、と言いたかったが、そんな昔のことで母を責めてもしかたがないので、彼女の話に反論せずにふんふんと聞くところまでを、誕生日プレゼントに含むことにした。
いちばんのぜいたくひんはせんぎょうしゅふのおかあさん、って、それでいいのか、と揺れに揺れつつ、無職10年の春だ。
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今朝の新聞に出ていた広告で、おっ!と思った本をメモメモ。
図書館で借りるんだもん。