今日は美容室に。
担当美容師さんと相談して、脱色が進んでいた髪の毛の色のトーンを落として、ピンクのニュアンスを入れてもらうことにする。
今、担当してもらっている美容師さんは、独身男性で、早く結婚して家庭を築きたいのに出会いがないと嘆くので、どんなひとと出会いたいのか、と尋ねてみる。
すると、
「顔も性格も、どういうっていう理想はないんです。
ただ、料理ができる人がいいですね。」との答え。
「えええ?
日々の食事を毎日作れるような人をイメージしてるんですか?
まあ、それは!むずかしいかもしれないですよ。」
「そりゃあ、結婚するまでは料理作ってくれるかもしれないし、
おたがいに仕事をしながらでも、なんとか支え合って、
子どもができるまではがんばってくれるかもしれないですけど、
妊娠、出産をきっかけに料理しなくなるひとって多いんですよ。」
「外食ばかり続くのが不安なんだったら、自分が作れるようになったほうが早いですって。習慣的にぱぱっとごはんの支度ができるのと、レシピを見ながら材料を買いそろえて、料理するのとでは違うんですよ〜。」
ってな話をしたのは、『“現代家族”の誕生』を読み終えたばかりだったからなのだけど。担当美容師さんが、髪の毛にカラー剤を塗り終わる頃には、自分的には最低条件として想像していた「料理ができれば…」っていうのが、実は、ものすごく高条件だったと理解していた様子。
この本は、前著
『変わる家族 変わる食卓』で、毎日食事を用意するなんて「無理」「できない」という理由で、コンビニ弁当やカップ麺や菓子パンだけの<食卓>を用意する親を育てた親たちが、いったいどんな時代にどんな育児をしてきたのか、という子細な聞き取り調査をまとめたものである。
娘かわいさから、日々の食事の支度を手伝わせなかったと口々に語る母親たちは、わたしの母親世代なのである。
(いっさいの家事を子どもに丸投げしたわたしの母親とはまるで違うので読み進むのにはかなり、苦労した。子どもたりとも家事ができる、のがわたしの「普通」の感覚だったから。)
しかし、案外と身近に、この本で浮かび上がってくるケースに近いひとがいたのだった。結婚当初、わたしは、夫の家事能力のなさを嘆いたものであったが、ごはんの用意どころかいっさいの家事を子どもにさせなかった義母の子育てとは、「割と普通」だったのだと知ることができた。
「普通」の感覚とはかくも違う。わたしたちは夫婦になって、ここのところで大いにぎくしゃくしたのであった。
○
それはさておき、髪色はかなりのピンク色で完成。
帰宅して、洗濯物を畳んでいるところに天が帰宅。
わたしの顔を見て、
「おんなのひとって、かみのけで、かわるんだねえ。」
と言い、
「かわいいママを写真に撮ってあげる。」
とパチリしてくれた。
君は、その気持ちのありようでごはんが食べられるよ。