天にはよけいに手のかかることがたくさんあって、どうしてこんなんなっちゃうんだろうとどん底に落ち込むような日もあるのだけど、その分の、おつりがちゃんとあるものだ。
と、昨日書いたばかりなのに、昨日の夕食前には大爆発してしまったわたしである。
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天は、赤ん坊だった頃からものすごくかわいかったけれど、同時にものすごく育てにくい子どもだった。やがて、月が産まれてから、月はとても育てやすい子どもだったため、やはり天には、どこかおかしなところがあるのじゃないか、と、ずいぶん悩んで過ごしてきた。
たとえば、いつだって、天の机の上は、いつもいろんなもので大山盛りなんである。机の引き出しの中には、給食で食べたビワの種まで入っている。
天は、
削れない鉛筆や
ふつうの茶色い輪ゴムやなんか、そんなもののなんにでも執着するし、なんでもとって置きたがる。
しかも、テレビがついている限り、画面を見つめて固まってしまってほかのことができないし、あとは、字が書いてあるものならなんでも読み始めては、そこに固まって動かなくなる。シリアルのパッケージでもあたらしい機械の説明書でもなんでも、一回読んだら、内容を覚えて話すことができる。
なのに、「ごはんのときに、ぐにゃぐにゃしないでまっすぐ座る」とか、「ごはんを食べたら、食器を下げる」とか、「トイレに行ったら、流す」とか、「朝、顔を洗う」とか、「机の上を片付ける」とか、そういうことが、何回言ってもできない。何回言っても、だ。毎日言っても何回言っても、できない。
天の興味の対象は広いんだか狭いんだか、とにかくやりたいことが多くて、なんにでも真剣に取り組むのだけれど、その前に、頭の中や机の上がいつでもとっ散らかっているため、しじゅう、探し物をしていなくちゃならない。
ところが、探し物の途中で、探しものをしているということよりも、見つからない、わからない、という方面に思考が傾いてしまうため、自分で片付けられることは少ないし、その挙げ句、ほかのことに興味をとられて熱中してしまう。
そんなところのどこもかしこもわたしに似ているので、おおいに理解できるところもあるし、お互いに似ているがために、よけいにイライラしてしまうこともある。
とりあえずわたし達は母子してお互いに、こういう性質を持っているペアなんだ、と納得して、3回言ってもダメならほっておくというルールを設定して、なんとかかんとか日常生活をやり過ごしているような状況だ。
昨日の天はまた探し物が見つからなくて、昨日使ったものなのに、見つからない、と言う。わたしも夕食を作りながらちょっと探してみたが見当たらない。
結局天は、ないないないない、とアニャアニャ言ってて、わたしから見ているとちっとも探しているようには見えないのだが、しばらくのあいだいろんなものをぺたぺた触っては、うじうじうじうじいじいじしていた。
そういうときに介入すると火に油になりかねないので、わたしが構わないでいると、ほっとかれた天は、お風呂に入ってしまった。
天は指示されたことができなくって叱られることが多いし、感覚も過敏なので、日頃からできるだけ、よい方法で対処して、よいところを探して認めて褒めてあげないと、ちょっとしたことでも気持ちがぺっしゃんこになって、心身鬱々になってしまうんだ、とわかっていても。
天は「どうせ見つかんないし、いつも、僕ばっかり怒られるし」って、お風呂に入ったんだな、それでいいじゃん、と、思えばいいのだし、もっとのびのび育ててあげたい、と思うのだけど、天には、いつも時間が足りなくなってしまうから、と、わたしが焦ってしまうのがいけない。
「お風呂に入って気分転換ができた?よかったね。」とかなんとか褒めてあげればよかったんだけど、その前に天がまた、「どうせ僕には見つからないからできない」とかなんとか言ったもんで、あらまあ、わたしのほうの火に油。
ついにうっかりと、怒り心頭に達してしまったのよ。
「ママ、もうやめてよ。」と、泣きながら月が止めに入ってたけれど、わたしはすごく本気で怒ってて天を責めてて、机の上のものを全部投げ散らかして、しばらく止まらなかった。
天が泣いて謝って、わたしも泣いてしまって、本気でお互いに反省して、わたしたちはいっしょに机を整理して、いっしょに探し物をして、お互いになぐさめあった。
「ママ、いつも怒らせちゃってごめんね。」と天が言い、
「いや、天はそれほど悪くないよ。
いくらなんでも、さっきのママは怒り過ぎだよ。」
と、わたしが言うと、
「違うよ、あれはママが怒ったんじゃなくて、
喧嘩だったよ。」と月が判決。
「ママは、にいと喧嘩しないで。」
「ごめんね、月も本気で止めてくれてたのにね。」
仲直りしてしょっぱいごはん。
食べ終わる頃にはまたいっしょに笑ってたわたしたち。