先日、月は幼稚園バスでそのまま、同じバスコースのお友だちの家に行き、わたしはそこに四時前後に、お迎えに行く予定だった。天の帰宅時間は三時半。「まるまるくんとウチで遊ぶ約束したよ。」と帰ってきた。
「わかった、じゃあ、ママは月のお迎えに出かけるよ。」
「ママ。まるまるくんが来るまで、一緒にいて。」
天はさみしがりなのだ。わたしは夕食の下ごしらえをしながら、天は宿題をしながら、まるまるくんの到着を待って30分経過。
「こ、来ないじゃない。まるまるくん、ほんとに来るの?前も来るって言って来なかった子でしょ。電話してみたら?」
電話に出たのは、まるまるくんのおかあさんで、まるまるくんは帰宅後に出かけたが、どこに行ったかわからない、と言われたようだ。がっくりと肩を落とす天と電話を替わり、「わたしが出かける用事があるので、天を連れて出かけます。もしも、まるまるくんとすれ違っちゃって会えなかった場合には、ごめんなさいね。」と伝える。
天は予定の変更に弱い。たのしみにしていた予定が変わると、ものすごく落ち込む。励ましながら、寒い日だったので、天に帽子をかぶせ、手袋、マフラー、厚めのコートを着せて、それぞれに防寒対策の終わったところで、ピンポーーーン。あら。まるまるくんと、もうひとり。
「まってたんだよおおぉ。」「ごめんごめーーん。」さっそく遊びはじめる三人。「じゃあ、ママは出かけるよ〜。もう、ちょっとしか遊ぶ時間がないみたいだけど、仲良く遊んでね。」とうに4時を過ぎていた。小学生は四時半のチャイムを合図に帰宅することになっているのだ。
月には早めに迎えにいく約束をしていたので、早こぎで自転車を走らせる夕暮れ、冷たい風。女の子同士数人で遊んでいる月にほっとする。わたしもお茶をいただき、何人かのおかあさん達と少しおしゃべりをした。
何かのきっかけで、「天はまだ、ひとりでいられる限界の時間が20分くらいだ」という話をしていたところで、かばんの中の携帯が鳴り出す。「4時50分!」どっと笑いながら、電話に出る。「ママ、あのさー」電話越しに聞くわが子の声の、まだ幼いこと。
「うん。どうしたの?みんな帰った?」「うん。」「戸締まりした?」「うん。」「えらいね。天、ママは、もうすこしで出るところだよ。」「うん。ママ、あのさー、あのー、あのー。」「急ぐ用事?」「うーんとねー、あのーあのさー。」どうも用事はなさそうだ。「あのね。天。帰ったらゆっくり聞くよ。宿題して待っててね。」「うん。」
月を連れて出発。外に出て、空に浮かぶ白い月に歓声。背中の重みから、伝わる体温。ママチャリの荷台の月は、わたしにぎゅと手を回し、お友だちと遊んでたのしかった話をしている。「月ちゃんはまだ、みんなと一緒に遊びたかったなあ」と残念がっていた。
わたしは、あんなに大きくなった天を、わたしがこんなに世話していて、よいのか悪いのか、と少し考える。世話焼きのわたしが世話しているから、天はこんなにいつまでも手がかかるのか。
天がさみしがりやでわたしを必要としていることを、きっとわたしはどこかで少し喜んでいる。こうして世話のできる相手から、わたしが受け取るものは、けっこうたくさんで、ずしりとするあったかみがあるのだ。