わたしが幼児の頃、母は朝早くから夜遅くまで仕事をしていた。自営業を営んでいる実家はいつも忙しくて、子どもの面倒を見るひとがいなかった。今のように夜遅くまで、子どもの見るようなTV番組はなかったし、ビデオもなかった。
わたしは、本と紙とクレヨンさえあれば、何時間でも過ごしていられる子どもに育った。
母が、絵本の表紙の裏側にポケットがあって、ペラペラとしたソノシートに朗読や音楽が入ったものを買い与えてくれていた。もしくは、おはなしカセットテープが何巻か。わたしと妹とふたりぽっちの寝室で、それらを繰り返し繰り替えし聞いていた。
そうして子どもの頃に聞いたお話で、一番印象に残っているのは『うしかたとやまんば』だ。
(「BOOK」データベースより)
むかし、うしかたがさばを牛にせおわせて、山をこえていくと、山んばにであいました。さばをぜんぶたべられ、牛までもたべられたうえ、うしかたまでもたべようとするので、にげににげて、いけのそばの木にのぼると、そのすがたが水にうつり、山んばはそれにとびつき…。
「…うしかたヤァ、サバを1本くれえぃ。」
地獄の底から聞こえてくるようなおそろしい声を今でもはっきり覚えている。
追いかける山んばの凄まじいおそろしさ。
うしかたの、ものすごいサバイバル。
ふたりのあいだの緊迫した滑稽さ。
こわくてこわくてたまらなくおもしろくて、何回も聞いた。
そうしてわたしはやがて大人になって、また、わたしの子ども達に読んでやるのだ。
「ぅおおおぃ、うしかたヤァ…。」